涼しくなってきた?
9月に入り、なんだか秋の気配?
日が暮れるのも早くなり、
朝夕が涼しくなってきましたね。
昨日は亡くなった祖父の命日だったので、
父とお寺にお墓参りに行ってきました。
境内にはなかなかに古い
石仏や石碑があるなぁと再発見。
家で調べてみたら、「文化三年」は1806年で江戸時代。
時は、第11代将軍・徳川家斉(いえなり)の時代に
建てられたものでした。
古い!
ちなみに、この文化三年のトピックスは
江戸三大大火の一つ「文化の大火」があった年。
死者1200人以上が出た大火事が東京であったそうだ。
いつの時代も、いろいろ天変地異はありますね〜。
高根沢町史によると、
広林寺は寛文年間(1661~1673)に
喜連川慈光寺の末寺として開山したお寺で、
開山は元禄三年(1690)ともいわれているそう。
「高根沢町史」には、広林寺のまつわる
こんなエピソードも書いてありました。
昭和の太平洋戦争の時代の話。
戦局が不利になった昭和一九年(一九四四)六月三〇日、
政府は国民学校三年生以上の学童疎開を決定した。
(中略)
高根沢町域内には熟田村に西桜国民学校、
北高根沢村に愛宕国民学校が疎開した。
(中略)
熟田村では狭間田の小野家に女子約二〇名、
伏久の広林寺に約二五名の男子が疎開した。
学童たちは常に望郷の念にかられていた。
伏久に疎開した男の子は、当初
「鉄道線路をみると、この線路を歩いて行くと家に帰れるかなあ」と、
烏山線を深い思いをこめて眺めていたという。
・・せつない・・
烏山線の線路を見て、
東京の故郷に思いを馳せるせつなさ・・(泣)。
ちなみに「熟田(にいた)村」というのは、
現在のさくら市と高根沢町にまたがってあった村らしい。
高根沢町にも、東京からの学童疎開を受け入れた
歴史があったのが今回の新発見でした。
○広林寺
栃木県塩谷郡高根沢町大字伏久405