日光市

第269回 いろは坂を上ってどこに行く(前) の巻

宇都宮から高速道路を使い日光へ。

日光付近になると
高速道路には、「サルの横断注意」の看板が・・

(案の定、帰りにサルの親子が道の真ん中に座っておりました。)




30分ぐらいで日光に着いてしまうのですね。
朝は誰もいなくてスーイスイ。


ひばらさんの栃木探訪-ひばらさんの栃木探訪 尾瀬 日光


あっという間に、いろは坂へ。


いろは坂は、

県内外の方も遠足などで通るかと思うので
存在はご存じかと思いますが、

日光の中禅寺湖畔へと続く、急なカーブのある坂です。
そのカーブ48カ所にそれぞれ

“いろはにほへと ちりぬるを・・・”という、

「いろは歌」にそって1文字ずつ看板が立っております。



もう県民的には
当たり前に聞いちゃってますけど、


よくよく考えると

すごいネーミング&ユニークな坂
ですよね。


坂を48にして、そこに「いろは歌」の看板立てようぜ!って考えた

言い出しっぺは誰なんでしょう?

( ̄Д ̄;;


日本道路公団に、古文好きの人でもいたっていうの?



ネットで検索しましたが、これといった確証は得られず・・
(誰か教えてください)



先日出した写真は

ひばらさんの栃木探訪-ん

↑最後の「ん」でした。(ブレてるけど・・)



ワタクシの遠い記憶ですが、

この看板、昔


ひばらさんの栃木探訪-いろは坂


↑こんなんだったような・・( ̄Д ̄;;

なんか今のよりシンプルな感じだったと思うんですが、
どうだったでしょう。


ちなみに、1つ1つの看板を凝視しながらカーブを曲がっていますと、

そのうち酔うので、ほどほどに楽しんでください。

(酔いやすい方は、センパアを忘れずに)


ひばらさんの栃木探訪-男体山

天気が良かったので、山が近くてキレイ。



さて、このいろは坂ですが、現在は2つあります。

上りが第二いろは坂、下りが第一いろは坂です。


もともと昔は、
第一いろは坂を片側一車線通行で使っていたようですが、
急すぎて、大型車両などが曲がりきれず
渋滞が多発していたそうです。

その後、
いろは坂起点・終点に信号を設け、
一時間ずつ上り・下り専用道路として
利用していた時期もあったようです。

これを緩和するため、

昭和40年に第二いろは坂が完成、
上り専用と下り専用が分かれました。

昭和59年までは有料道路だったみたいですが、
現在は無料で通れます。


そのもっと昔、明治5年までは、
奥日光は、二荒山神社の聖域だったので
女性や牛馬の立ち入りは禁止されていたようで・・。
(参照:詳しくは、県のホームページへ。)


いやはや、自由で平和なご時世になったものです。(;´▽`A“



そんなこんなで、

ひばらさんの栃木探訪-ひばらさんの栃木探訪 尾瀬 日光

中禅寺湖に到着。


といっても、今日はここがゴール地点ではありませんでした。





つづく