宇都宮から高速道路を使い日光へ。
日光付近になると
高速道路には、「サルの横断注意」の看板が・・
(案の定、帰りにサルの親子が道の真ん中に座っておりました。)
30分ぐらいで日光に着いてしまうのですね。
朝は誰もいなくてスーイスイ。
あっという間に、いろは坂へ。
いろは坂は、
県内外の方も遠足などで通るかと思うので
存在はご存じかと思いますが、
日光の中禅寺湖畔へと続く、急なカーブのある坂です。
そのカーブ48カ所にそれぞれ
“いろはにほへと ちりぬるを・・・”という、
「いろは歌」にそって1文字ずつ看板が立っております。
もう県民的には
当たり前に聞いちゃってますけど、
よくよく考えると
すごいネーミング&ユニークな坂ですよね。
坂を48にして、そこに「いろは歌」の看板立てようぜ!って考えた
言い出しっぺは誰なんでしょう?
( ̄Д ̄;;
日本道路公団に、古文好きの人でもいたっていうの?
ネットで検索しましたが、これといった確証は得られず・・
(誰か教えてください)
先日出した写真は
↑最後の「ん」でした。(ブレてるけど・・)
ワタクシの遠い記憶ですが、
この看板、昔
↑こんなんだったような・・( ̄Д ̄;;
なんか今のよりシンプルな感じだったと思うんですが、
どうだったでしょう。
ちなみに、1つ1つの看板を凝視しながらカーブを曲がっていますと、
そのうち酔うので、ほどほどに楽しんでください。
(酔いやすい方は、センパアを忘れずに)
天気が良かったので、山が近くてキレイ。
さて、このいろは坂ですが、現在は2つあります。
上りが第二いろは坂、下りが第一いろは坂です。
もともと昔は、
第一いろは坂を片側一車線通行で使っていたようですが、
急すぎて、大型車両などが曲がりきれず
渋滞が多発していたそうです。
その後、
いろは坂起点・終点に信号を設け、
一時間ずつ上り・下り専用道路として
利用していた時期もあったようです。
これを緩和するため、
昭和40年に第二いろは坂が完成、
上り専用と下り専用が分かれました。
昭和59年までは有料道路だったみたいですが、
現在は無料で通れます。
そのもっと昔、明治5年までは、
奥日光は、二荒山神社の聖域だったので
女性や牛馬の立ち入りは禁止されていたようで・・。
(参照:詳しくは、県のホームページへ。)
いやはや、自由で平和なご時世になったものです。(;´▽`A“
そんなこんなで、