【今までの宇都宮の七水シリーズ
→序 (1)(2)(3)】
宇都宮に江戸時代から
伝わるという「七水」
「亀井の水」「明神の井」「天女水」「滝の井」ときて、
のこる七水はあと3つ!
あと3つ!というところなのですが、
(序)の時にも触れた七水を探すきっかけとなった
「亀井の水」
を、まだ詳しく説明しておりませんでしたので、
今回は改めて「亀井の水」の紹介です。(;^_^A
宇商通りを大通り、平成通りへと通過し、
そのまままっすぐ不動前方面へといく途中の下河原の交差点に
ポツンとあるのが「亀井の水」です。
冬場はもっと分かりやすいと思いますが、
今の時期は草木がうっそうとしていて、通り過ぎてしまうかも・・。
亀井の水の後ろには、小さい神社のようなものもあるのですが、
ここの名前は分かりませんでした。
道を挟んだ反対側には常念寺というお寺があります。
さて、この亀井の水。
案内板やら石碑やら、七水の中でも一番建っています。
多くの人々に親しまれてきました。
と書いてあるし、
一番親しまれていた七水の一つなんでしょうね、たぶん。
案内板も、まさかの英語版まであり!
「スプリング オブ カメイ」
ですよ。
なんでも、この池にはこんな言い伝えがあるとか・・
(塙静夫著「うつのみやの歴史再発見」より)
むかーしむかし・・・
平氏滅亡後、源頼朝と不和になった義経は、
従者弁慶らともに、陸奥の国・平泉(←最近、世界遺産になった)
の藤原秀衡を頼って、落ちていったそうな。
ヤベー ヤベー
すると、義経の側室(妾)だった静御前は、
義経のあとを慕って、従者亀井六郎・駿河次郎に護られて、
追っかけていたそうな。
宇都宮のこの地にさしかかったとき、
静御前は長旅の疲れによって
喉が渇いたので、従者に水を求めると、
亀井六郎は神仏に祈り、持っていたヤリで
地面を深く突き刺したところ、
>
これを飲んで喉の渇きを癒やし、
義経のもとへ向かいましたとさ。
以来、いかなる日照りにも清水は涸れることなく、
付近の田んぼを潤したので、
亀井六郎の苗字をとって、
「亀井の水」を呼ぶようになりましたとさ。
めでたしめでたし。
いやいやいや・・・・・
(ヾノ・∀・`(ヾノ・∀・`(ヾノ・∀・`)
ナイナイ
まあまあ、これは伝説でありまして、
本当の由来は、
宇都宮城が亀型の形状をしていることから、
別名“亀ヶ丘城”と呼ばれており、
この辺りは、ちょうど亀の尻尾の部分にあたるので、
「亀井の水」と名付けられた
という方が正しいみたいです。(^^ゞ
だってね~、もし静御前が来てたら、
この名所、もっと人気出てると思うわーー(ノ・∀・`;) (←そっちかよ)
本を読むと、
この亀井の水の前を通っている道は、
鎌倉街道(旧奥州街道)という道だったらしく、
鎌倉に通じている道だったんですね。
なので、そういう伝説がその当時できたのかもしれないですね。
まあ、何はなくとも
なんといっても、池に親子ガメ。
これがあるだけでも良しとしようじゃありませんか。
池はなかなか澄んでいて、
よく見ると金魚やメダカも泳いでいます。
このカメ・・・よく見ると、
英厳寺の墓石にいた
↑あのカメと似てなくもない・・ (参照:第384回 かくれ桜公園と城主の亀お墓 の巻)
お水も岩からポタポタとしたたっているし、
立派な清水が現在も出ているんじゃないか~!(´∀`)
と思っていたのですが、
後日文献を調べていて愕然!(´Д`;)
今では水路がふさがれ、水がかれたため、
石造りの亀が置かれ、水道の水を流している。
とな・・・( ̄ー ̄;
ということで、後日確認に行ってみると・・・
ガビーン
・・・ま、まあこれは心の奥底に閉まっておこう。(ノ´▽`)ノ
○亀井の水
栃木県宇都宮市下河原町(常念寺前)
(5)につづく