【今までの宇都宮の七水シリーズ
→序 (1)(2)(3)(4)】
宇都宮に江戸時代から
伝わるという「七水」
「亀井の水」「明神の井」
「天女水」「滝の井」ときて、
のこる七水はあと3つ!
お待たせしました(←誰も待ってないってか)
七水後半戦です。(・∀・)
とりあえず、ネット検索などで比較的楽に探せた前半戦の4つと違って、
後半戦の残り3つはそれはもう
手がかりがないったらありゃしない。(爆)
ということで、図書館にある数々の文献に頼ることにしました。
(参考図書については、またあとで記すとします。)
調べた結果、
「東石町(ひがしこくちょう)」とは、
宇都宮に昔あった地名ということが分かりました。
そして、“井”は石町の東通りにあったとな。
地図を頼りにやってきたのが
「石町通り」
現在の住所だと、宇都宮市の一番町というところです。
この付近は戦国時代、宇都宮氏から穀物を一手に商うことを
認められていた人々が住んでいたので、
石町(こくちょう)という名がつけられました。
だそうです。
じゃあ、“穀町”じゃないのか?
というツッコミはおいといて・・
ここの通りの東側あたりになんかないかな~と
うろうろしていると、
南の一本となりの通りは「元石町(もとこくちょう)通り」
ではありませんか。
再び手がかりを探してしばらく歩くと、
今度は元石町の案内板を発見!
どれどれ・・
読めねーーー!!(=◇=;)
必死こいて、うっすらした文字の解読に成功!(←完全に怪しい人)
それによると・・
江戸時代の初め頃、この付近に米問屋があり、
東石町と呼ばれていました。
その後、米問屋は石町や新石町に移ったため、
元の石町という意味でこの地名が付きました。
米問屋が移った後、武士の屋敷となりましたが、
火事で焼けてからは、町人の街となりました。
とな!!
東石町ここだーーーーー!!
この近くに井戸はねーーがーーー?
そういえば、さっき通ってきたところに、なんか社があったな。
アサヒタクシーの向かいに
なにやら祀ってあるぞ。
今までの例から行って、<b
r>神社やお寺の境内にあることが多かったですもんね。
ここか?
が、周りを探しても何も井戸のような場所は見あたりませんでした・・。(´・ω・`)
ここは「元古久稲荷神社」
ここも“もとこく”と呼ぶのかな?
ちょうど向かいに、昔からやってそうな和菓子屋さんがありました。
しかも名前が「玉泉堂」?!
い、いずみ・・
これはなにか知ってるかもしれない!!
と思い、「東石町の井」って知ってますか?
と聞いたのですが、
店主のおじいちゃんはまったく知らないといった様子でした。
ああ、残念。
ということで、今回の「東石町の井」
調査はここまで!
七水の中でも一番ざっくりとしか場所が分からない水でした。
市の旧跡資料にも「現在は残っていません」
と書いてあるので、もう跡形もないんでしょう・・。
古い記録には「芝田の井」や、「鏡の井」という記述もあるそうです。
ちなみに、この「東石町」という地名は、
江戸時代のはじめ頃に呼ばれてた地名みたいです。
今回見てきた宇都宮の古地図の中にも、
「東石町」という地名は発見できず、
全部その辺りは「元石町」と表記されていました。
仮に井戸がずっと残っていれば、
「元石町の井」という名前で呼ばれててもいいはずなので、
この「東石町」時代(江戸時代の初め頃)にこの井戸はなくなってしまったのでは?
というのが、ワタクシの仮説です。
玉泉堂で買った豆大福を食べながら、
思いにふけるのでありました・・・( ̄ー ̄;
ということで、今回の案内図はモヤモヤです。
無念!
栃木県宇都宮市三番町(元石町通り)付近?
(6)につづく
【11.7.20追記】
renge70さんより「東石町の井」について情報をいただきましたので、
追記しておきます。
>昔、沼というか池があって、
>おしどりが来ていたからその跡地でおしどり塚を置いたから
>多分アサヒタクシー付近じゃなく、そっちだと思うけど?あそこは神社でしょ。
>って。。。母は「そっちじゃないおしどり塚の方だ!」と言ってましたよ。
「東石町の井=おしどり塚説」
大変興味深いです。ヽ((◎д◎ ))ゝ
まだ少ししか調べてませんが
確かに、「おしどり塚」の由縁となるおしどりが居たこの辺りには
鎌倉時代のはじめ頃、求食(あさり)沼という水辺があったみたいなのです。
この沼がいつ頃まであったのか、
この辺りのことを“東石町”と呼んでいたのか
などをもう少し調べていけば、何か手がかりが見つかるかもしれません。
なので、これはまた進捗があったらお知らせしますね!!