【今までの宇都宮の七水シリーズ
→序 (1)(2)(3)(4)(5)(6)】
宇都宮に江戸時代から
伝わるという「七水」
「亀井の水」「明神の井」
「天女水」「滝の井」
「東石町の井」「池の井」ときて、
のこる七水はあと1つ!
あと1つ!ということで
今回の「(7)馬場の井」編は、前後編でお送りします。(←ハリポタか)
というのも、馬場の井が一番見つけるのに苦戦したからです。(;´Д`)ノ
「馬場!」でまずピンとくる場所は、
やはり、ここですよね。馬場町、馬場町~
宇都宮の二荒山神社前。まさに中心部のど真ん中です。
このあたりのどこかに絶対あるはず。
この付近は、古くから二荒山神社(宇都宮大明神)の
門前町として開けたところで、馬場先であったことから
この町名が付いたといわれます。
馬場先というのは「馬を乗り停めておくところ」
秋にはここで、「菊水祭」という流鏑馬(やぶさめ)神事などの行事も
行われる場所です。(動画→コチラ)
ちなみに、
ここから南北にのびる「バンバ通り」の“バンバ”は、
この“馬場”から転訛したもののようです。
で、この案内板には当然「馬場の井」なんて言葉は出てこず、
しばらく周辺をぐるぐるしたのですが、
結局井戸的なものは見つからず・・捜索断念。
ということで、文献に頼りました。
「宇都宮郷土史(再編復刻版)」(徳田浩淳・著)によると、
馬場の井
広馬場にあったが、大正4年の頃に埋めた。
馬場先の「滝水の井」という記録もある。
下の宮と文殊院との間にあった。
とのこと。
大正4年の頃に埋めた!
はい、もう無いの決定です\(^o^)/
しかしせめて、場所だけでも特定はしたいと思い、
>下の宮と文殊院との間
を探すことにしました。
まず、“下の宮”の場所はすぐ分かりました。
パルコの横にある神社みたいなところです。
↑この鳥居のあるところが「下之宮」。
ちょうど天王祭の時の写真にしてみました。
夏に行われる「天王祭」の恒例神事「親子みこし対面」では、
ここに親みこしが鎮座しています。
この「下之宮」ですが、
二荒山神社の摂社(縁故の深い神を祀った神社)だそうで、
「うつのみや歴史探訪」(塙静夫・著)によると
二荒山神社より先にあったのは、なんとこっち(!)らしい。
(その後、現在の場所に遷座)
だから親みこしがここにあるのか~・・なんか納得。
正直、この神社最近まで「なんの鳥居だろー?」
ぐらいにしか思ってなかったんですよ。
というのも昔パルコ建つ前、
ここの土地にあったのって、「映画館」だったんです。
(たぶん20代後半ぐらいから上は知ってると思いますよ)
小さい頃、ここに「東映アニメフェア」を見に来ていたもんです(笑)。
なので、
映画館がなくなり、パルコが建ち、それと同時に立派な神社が・・ Why?
って、思ってたわけです。
長年の謎、解決。
そして、もう一つ難問だったのが“文殊院”です。
ここで、「宇都宮真景図」登場!
つ、ついに奥の手、古地図が登場してしまいました。(;^_^A
これは、明治30年代の宇都宮中心市街地を描いた鳥瞰図です。
この地図で下之宮の周辺をチェックしたのですが、
・・・ない!
文殊院という文字は見あたらず。
ただ、大きな発見も。
「下之宮」が二荒山神社に対して現在のように
平行して建っているのではなく垂直に、
しかも、小高い丘の上に建っているのが見てとれます。
それと下之宮と大通りの間に、もう一つの鳥居と招魂社という文字。
調べてみると、これは
現在作新学院の向かいにある栃木県護国神社の前身の
宇都宮招魂社というものでした。
こんなところにあったんですね。
もっと昔の地図はないか~
栃木県立博物館でやった企画展「名城宇都宮城」の図録を
見てみることにしました。
こちらには明治以前の、
宇都宮城周辺の古地図がたくさん掲載されていました。
ついに「文殊院」という文字を発見しました!
下之宮の北側に並んであるではないですか。
文殊院・・廃寺になったお寺でしょうか?
(すいません、詳しく調べられませんでした)
ということで、総合的に
「下之宮と文殊院の間」を考えてみると、
ちょうどこの当たりが昔、“小高い丘”だったことも考慮して
馬場の井は・・・
この辺かな?(パルコの2階)
清水の名所が、今やシャレたカフェにねぇ・・
・・なんてオチにしようと思ったのですが、
まだ今回は話がつづくのでした。(^^ゞ
↑この時点での想像では
○二荒山神社摂社 下之宮
栃木県宇都宮市馬場道通り3
○WIRED CAFE宇都宮PARCO店
http://www.cafecompany.co.jp/brands/wired/utsunomiya/index.html
栃木県宇都宮市馬場道通り3-1-1パルコ 2F
(7)Part2 につづく