(中)からひきつづき「蓬萊大黒通り」を
一向寺をあとにし、蓬萊大黒通りも中ほどに来ると、
あったのが「大黒町」の案内板。
あ、ここの由来も蓬莱町と同じだ。
「古くから三面大黒天が祀られていたので、大黒町と呼ばれるようになり・・」
だって。
「三面大黒天」??
またどっかにあるのだろうか、大黒さま。
などと歩いていると、また道沿いに神社その2を発見。
先ほど寄った菅原神社と同じ銀色鳥居。
・・・・( ̄ー ̄;
まったくノーヒントすぎる!!
案内板もなし。
覗いてみたけど、大黒らしきものも見えず・・・ここじゃないのか。
おい、教えてくれ! うさぎとカメよ!!
案内板はないけど、ここで休憩でも?
というようなキノコいす&テーブルもあったり・・。
で、後日「三面大黒天」の居場所について
いろいろ調べてみたのですが、結局どこにあるかは謎でした。
でもこちらの神社の名前は判明。
「神明宮(しんめいぐう)」という神社でした。
宇都宮城の四方固めの鎮守として西側に建てられた社だそうです。
さっきから社寺仏閣も多いな~と思っていたのですが、
もう1つ気になっていたもの。
それが、「産婦人科」
この通り、というかこの近辺エリア一帯って
「産婦人科」がすごい多い!のです。
なぜ? ( ̄_ ̄ i)
調べてみたらこんなにありました。
より大きな地図で 蓬萊大黒通り付近の産婦人科 を表示
場所によっては廃院しているところもあるんですが、
なぜだかこのあたりに、
産婦人科(婦人科も含む)が密集している気がします。
って、自分が産婦人だから気になるだけかな?
またしばらく歩くと、案内板がありました。
このあたりの旧町名は「歌橋町」
昔、このあたりに住んでいた人が歌を詠み、
その歌が万葉集に載ったという伝説から、この町名が起こったとか・・
って、なんだその伝説!(笑)
すごい由来ですね。(;^_^A<b
r>
伝説なので、本当に載ったのかどうかすら
よく分からんですね・・。
ここら辺に「歌の湯」という銭湯があり、
この地名からとったという文献があったのですが、
歌の湯は見つけることができませんでした。
閉めちゃったのかな?
バクさんの言っていた“銭湯”とか、
ケン坊さんの言ってた“大きい煙突”は
「歌の湯」さんだったのかもしれませんね。
ええと、こちらは案内板がありました。 「熱木不動尊」
熱木は、「ねぎ」と読むそうです。
ふーん、なかなか歴史あるようだ。
不動明王が祀ってあるらしい。
多気不動尊(参照:第229回 タゲさん の巻)にある
不動明王像と兄弟像らしいです。
中を覗きましたが、不動明王はよく見えませんでした。
「熱木公民館」と併用らしく、どちらかというと中は公民館ぽかった・・
だいぶ日も落ちてきたので、この日はここまで。
平成通りを渡ると、次は不動前に通じる「不動前通り」があります。
実は、不動前通り~蓬萊大黒通り~材木町通りは
「旧日光街道」なんですよね。
今は東武の横の道(←東京街道とも呼ばれてる)が日光街道ということになってるけど…
その辺のことも、調べつつ
また「不動前通り」も、そのうちブラブラしてみようと思います。
終わり。
参考文献:
○宇都宮の民話(宇都宮市教育委員会 1983)
○宇都宮の古道(宇都宮市教育委員会 1985)
○宇都宮の神社(作新学院高等学校 社会研究部 2008)
○日光街道をあるく(大高利一郎 創英社/三省堂書店 2009)