前回、白沢にあるカトルカールさんに行った時、見つけた史跡。
「江戸時代の公衆便所跡」が気になりすぎたので、
再調査してきました。
「白澤宿」の案内板と、
「とちぎのふるさと田園風景百選 認定地」の案内板のとなりにある、
「江戸時代の公衆便所跡」。
中がどうなっているのか見てみたかった。
なんか子どもの時で書いてあった。
地元の小学校の総合的な学習の授業で付けた“かんばん”のようです。
「えどじたいのころつかっていたトイレです。みなさん見てください。」
はい。見ましょう!
後ろ側に回ってみると、
真ん中で2つに仕切られ、
右側には木桶らしきものが置いてありました。
これは当時のものなのかな〜?
蜘蛛の巣に絡まりながら・・
左側には、ちょっと低く掘られた穴のようなものがありました。
昔はここで“用を足して”いたんでしょうか。
まあ、当然ですが今は使用できません。
表側に貼ってあった江戸時代の共同便所の様子。
(葛飾北斎『北斎漫画』より)
江戸時代のトイレは、扉が上半分が開いていて、
中で用を足している人が外から見え
たようです。
外で鼻をつまんでる人も描かれてます。
実は、県立図書館のリファレンスにお願いして、
こちらの史跡について、資料を探していただいたのですが、
残念ながら、詳細な記述のある資料は確認できなかったとのこと。
しかし、簡易な記述のみ、以下の書籍に確認できたそうです。
・『奥州街道 歴史探訪・全宿場ガイド』(無明舎出版/編、発行・2002年)
※p.14 「白沢宿(河内郡河内町大字白沢)」の項に地元の方の短いコメントと写真が記載。 ・『日光例幣使道・奥州道中』(栃木県教育委員会事務局文化財課/編、発行・2011年)
※本文中(p.163)に「共同便所と伝えられる小屋」について記述あり。・『ちゃんと歩ける日光街道奥州街道 日光道中二十一次,奥州道中十次』(八木牧夫/著 山と溪谷社・2018年)
※p.110「下野國白沢宿(栃木県)」の地図に「公衆便所跡」として所在地と簡単な説明が掲載。 ・下野新聞(2013年12月21日24面)「街角・秘ストリー109 江戸時代の公衆便所跡(宇都宮)」に記事が掲載。
で、興味深かったのが、以下の補足です。
—以下の資料はお調べしましたが、お求めの情報は確認できませんでした。
・『古里村地誌』(白沢尋常高等小学校/編、発行)
・『古里村郷土誌 1』(岡本尋常高等小学校/編、発行・1910年)
・『河内町誌編さん資料 第1~7号』(河内町誌編さん委員会/編、発行・1969年)
・『河内町誌 全』(河内町教育委員会/編 河内町・1982年)
・『栃木縣史 第17巻(墳墓編・總索引)』(田代善吉/著 臨川書店 1972年)※下野史談会 昭和17年発行の復刻
・『栃木県史 通史編4』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県・1981年)
・『栃木県大百科事典』(栃木県大百科事典刊行会/編、発行・1980年)
・『栃木の街道』(奥田久/監修 栃木県文化協会・1978年)
・『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州 新装版』(今井金吾/著 JTB・2004年)
・『とちぎ街道ストーリー』(大嶽浩良/監修 下野新聞社・2007年)
・『歴史の道探検マップ 日光例幣使街道・奥州街道』(栃木県教育委員会事務局文化財課/編、発行・2013年)
・『白沢宿今昔』(住吉均/編、発行・1994年)
・『奥州道中分間延絵図 第1巻 解説篇』(東京美術・1997年)
・『郷土研究 ふるさと』(古里尋常高等小学校/編、発行・1931年)
・『卒業研究専攻科特別研究梗概集 平成19年度』(小山工業高等専門学校建築学科建築学専攻/編、発行・2008年)—
とのこと。
なぜか、古い書物には資料が残っていなくて、
記載があるものは2002年以降という点。
と教えていただいたと書いてあったので、
もしかして、けっこう最近まで私有地だったので、知られてなかった史跡なのでは??
と私は推測したのですが、どうなのでしょう。
県立図書館のリファレンスさま、
詳しく調べていただいて、ありがとうございました。
今回も、カトルカールさんで焼き菓子を買って帰りました。
○パン屋カトルカール