コロナも増えてしまっているし・・、
お盆中は家でだらだらブログ編集です^^;
ということで、書く意欲があるうちに更新。
「たかマガ」にて、「市の堀用水を巡る」その2を更新。
本編は「たかマガ」で↑
こちらのブログ↓には編集後記(まだ途中ですが)を書きます。
今回は「市の堀用水ができるまで」ということで、
正直苦手分野の歴史について、まとめてみました。
市の堀用水開削に尽力した山崎半蔵について調べて、
勝手に推測して書いてみました。
以前、那須烏山の長者ヶ平遺跡の探索イベントに参加した時に、
参照:
「これはこうだったかもしれない」とか
「実はこういう意味があった」とか、
歴史についてあれこれと考察することこそが、
「古代ロマンであり、醍醐味!」というガイドの先生の言葉を思い出し・・
まあいくつかの史料を頼りにですが、歴史考察してみたりしました。
ご笑覧ください
・・^^;
・・^^;
私の知る限りですが、市の堀用水に関する史料は、本当に少なくて、
今回も話に出している「市の堀〜市の堀用水沿革史」のほかには、
「高根沢町史」や「氏家町史」など、各町の史料などが主なもの。
そのほかに見つけてみたところ、さくら市ミュージアムで行っている
「氏家喜連川歴史文化研究会(旧氏家歴史文化研究会)」が発行している
会報「氏家の歴史と文化」で、
小林さんという方が連載で書いていた「市の堀用水研究」を参考にさせてもらいました。
以前探訪した時に、衝動で氏家歴史文化研究会に入会したいと思っていたのですが、
ちょうど1人目の育児が忙しくなって、躊躇してしまいました・・。
今になってまた、入会を考えようかな・・なんて思ったり。
(高根沢町には研究会がない・・泣)
栃木県には「日本三大疏水」の一つにもなっている「那須疏水」や、
“二宮金次郎”でおなじみの二宮尊徳が数々の用水事業をしていたり、
歴史遺構として案内板が建てられていたり、
資料館があったりする場所もあるので、
市の堀用水研究も、ちゃんとやれば、我が町の文化財・観光スポットとしての価値が、
市の堀用水研究も、ちゃんとやれば、我が町の文化財・観光スポットとしての価値が、
もっと上がるのかもしれないなと思っています。
まずは何より、興味を持つことからかな?と・・
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