長年アメブロでつながって、かつ、
同じとちぎの文化財応援団にもなった
かんぴょう屋のちびまるもさん。
その方がブログ「栃木のかんぴょう屋さん~ちびまるものてくてくとちぎ~」
で教えてくれた“かんぴょうスポット”を、
壬生町に行ったついでお参りしてきました。
壬生城址公園の横にある精忠神社(せいちゅうじんじゃ)。
で、こちらの神社の鳥居横にありました「フクベの記念碑」。
「干瓢(かんぴょう)の伝来300年記念」で建てられたものらしい。
そのイベント、私昔行ってた・・^^;
参照:
栃木県干瓢商業協同組合が平成24年に建立したもので、まだ比較的新しめ。
そもそもなんで、
栃木県が「日本一のかんぴょうの産地」になったのかというと・・??
江戸時代(1712年)、近江国水口藩(現在の滋賀県甲賀市)から
下野国壬生藩に国替えとなった鳥居忠英(とりいただてる)公が、
かんぴょうの種を近江国から取り寄せ、
領内でかんぴょう栽培を奨励したのがきっかけらしい。
その後、かんぴょう栽培は県内に広まり、
壬生町、下野市、上三川町、小山市など県南部で作られるようになりました。
なかでも壬生町が、「栃木県かんぴょう栽培発祥の地」!というわけですね。
一応、“元祖”発祥の地・近江国(滋賀県)のことも調べてみると・・
今でも「水口かんぴょう」というのが
滋賀県甲賀市などで「近江の伝統野菜」として生産されているようです。
へ〜〜
すっかりシェアが逆転してしまったけど、
元々は滋賀県から伝わってきたものとは・・。
この神社は、その鳥居忠英が壬生城内東北の隅に、鳥居元忠を祀ったのがはじまり。
この神社の祭神・鳥居元忠公は、壬生城主であった鳥居家の先祖で、
徳川家康に仕えた家臣でもありました。
関ヶ原の戦いに先立ち徳川家康の命により、伏見城を守り、
石田三成方の大群を引き受け戦いましたが、約1ヵ月の攻防の末、自刃したそう。
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その時の血の付いた畳が「畳塚」として埋納されています。
いろいろと歴史ある壬生のかんぴょうスポットでした。
○精忠神社
栃木県下都賀郡壬生町本丸1丁目9−13
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