壬生町

第1584回 壬生町のかんぴょうスポットをお参りしてきた

 

長年アメブロでつながって、かつ、

同じとちぎの文化財応援団にもなった

かんぴょう屋のちびまるもさん。

 

 



 

その方がブログ「栃木のかんぴょう屋さん~ちびまるものてくてくとちぎ~」

で教えてくれた“かんぴょうスポット”を、

 

壬生町に行ったついでお参りしてきました。

 

 



 

壬生城址公園の横にある精忠神社(せいちゅうじんじゃ)。

 

 



 

 

で、こちらの神社の鳥居横にありました「フクベの記念碑」。

 

「干瓢(かんぴょう)の伝来300年記念」で建てられたものらしい。

 

 

そのイベント、私昔行ってた・・^^;

 

参照:

 

 

 



 

栃木県干瓢商業協同組合が平成24年に建立したもので、まだ比較的新しめ。

 

 

そもそもなんで、

栃木県が「日本一のかんぴょうの産地」になったのかというと・・??

 

 

江戸時代(1712年)、近江国水口藩(現在の滋賀県甲賀市)から

下野国壬生藩に国替えとなった鳥居忠英(とりいただてる)公が、

かんぴょうの種を近江国から取り寄せ、

領内でかんぴょう栽培を奨励したのがきっかけらしい。

 

 



 

その後、かんぴょう栽培は県内に広まり、

壬生町、下野市、上三川町、小山市など県南部で作られるようになりました。

 

なかでも壬生町が、「栃木県かんぴょう栽培発祥の地」!というわけですね。

 

 

一応、“元祖”発祥の地・近江国(滋賀県)のことも調べてみると・・

 

今でも「水口かんぴょう」というのが

滋賀県甲賀市などで「近江の伝統野菜」として生産されているようです。

 

 

へ〜〜

 

すっかりシェアが逆転してしまったけど、

元々は滋賀県から伝わってきたものとは・・。

 

 


この神社は、その鳥居忠英が壬生城内東北の隅に、鳥居元忠を祀ったのがはじまり。

 

この神社の祭神・鳥居元忠公は、壬生城主であった鳥居家の先祖で、

徳川家康に仕えた家臣でもありました。

 

関ヶ原の戦いに先立ち徳川家康の命により、伏見城を守り、

石田三成方の大群を引き受け戦いましたが、約1ヵ月の攻防の末、自刃したそう。

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その時の血の付いた畳が「畳塚」として埋納されています。

 

 

いろいろと歴史ある壬生のかんぴょうスポットでした。

 

 

○精忠神社

栃木県下都賀郡壬生町本丸1丁目9−13

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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