大田原市

第1547回 大田原市の「日本一美しい古墳」下侍塚古墳を見てきました

 

年の瀬に行った、冬の県北探訪。

 

よりによってめちゃくちゃ寒い日に出かけてしまいました。

 

場所は大田原市の湯津上地区(旧湯津上村)。

 

 



 

いつも車で通過してしまう古墳を、改めて鑑賞しようと、

下侍塚古墳を見に行ってきました。

 



 

国道294号の道沿いにある下侍塚古墳。

 

いっぱい松の木が植えられています。

 

 



 

冬なので「こも巻き」がされていました。

 

腹巻きしてるみたいでかわいい。

 

 



 

全景はこんな感じの「前方後方墳」。

 

きれいに形が残っていますね。

 

 



 

4世紀末頃(古墳時代前期)の国指定史跡の古墳です。

 

私も参加している「とちぎの文化財」応援団員の式でも説明されてましたが、

この古墳が、昨年(2021年)から栃木県でも重要な遺跡として

調査研究がスタートしています。

 

参照:

 

 



 

重要拠点とされている理由としては、古墳そのものの歴史もさることながら、

 

その後、江戸時代(元禄5年)、

この古墳発掘調査を支持したのが、「水戸黄門」こと徳川光圀で、
さらに、ここに派遣して発掘を監督していたのが、「助さん」こと佐々介三郎宗淳だから。

 

 



 

その調査発掘後、「この古墳を大切に保全するように」と

松を植えたのも、水戸黄門様の命だったとか。

 

 



 

前方後方墳のほかに、周りには方墳など全部で10基ほどがあったそうです。

(開田など開発により、現在確認できるのは8基)

 

 



 

この南側に、もう1つの前方後方墳の上侍塚古墳があるんですが、

寒すぎて断念・・。

 

 



 

古墳近くの大田原市なす風土記の丘湯津上資料館に、

詳しい資料などが展示されています。

 

 



 

速報展はロビーに展示されていました。

 

今回、2021年に行われた再調査で、詳しい測量結果なども展示されていました。

 

後方部の高い部分がやや窪んでいることが分かり、

もしかすると、これが水戸黄門が指示した発掘調査の痕跡かもしれない、とのこと。

 

 



 

水戸黄門が命じた発掘調査が、“日本で最初の学術的な発掘調査”として、

ここが「日本考古学発祥の地」として町おこしも始まっています。

 

 



 

茨城県の水戸黄門さんが、

なぜ栃木県のこの地で、この古墳を調べたくなったのか・・など、

今後いろいろと調査で分かってくるのでしょうか。

 

今後の動向にも期待ですね。

 

 

 

○下侍塚古墳

栃木県大田原市湯津上670
 

○なす風土記の丘湯津上資料館

栃木県大田原市湯津上192
 

 

【古墳の記事】
 
 
 
 
 

 

 

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