【前回よりつづき】
古墳めぐりに訪れた下野市は
風土記の丘資料館。
そこでみつけた案内マップに、
いとおかしなものを発見!
うん。きっとそうだ。( ̄ー ̄)
あの平安時代の人だ。
きっと歴史上の人物の中でも、すごい有名な方の部類(上の上)な気がする。
なぜ、栃木に?
生まれてこのかた、紫式部が栃木にゆかりがあるなんて、
聞いたことないし。
ともかく、行って見てみよう!
ということになり、森を進む。
にしても、すごいどんぐり。
けっこう歩くなぁ・・(^^ゞ
ということで、引き返し、車移動することにしました。
天平の丘公園内の南側に来ました。
それは、森の中にひっそりとありました。↑あれか!!
墓・・・とうか供養塔らしいです。(;^_^A
しかも、この付近が「紫」という地名であることから、
紫式部の墓と、「言われるようになったと思われます。」
↑・・・という曖昧な表現・・ヽ(;´ω`)ノ
↑これがまた、怪しげな墓石であって。
石塔が2つと1/2。
見たところ何も書かれていないし・・。段差もないし、柵もない。
もっと有名人なら、こんな野ざらしじゃなく
きれいに整備されていてもいいんじゃぁ・・??という造り。
ぽか~ん(´Д`;)のまま、現場をあとにしたのでありました。
家に帰って調べてみると、
紫式部のお墓は、京都の北区にもありました。f^_^;
(参照:「花橘亭~源氏物語を楽しむ~」 http://kakitutei.web.fc2.com/sub2.html)
こっちのが、絶対有力そうだ。
(「京都」さんのネームバリューには、勝てねーべ)
ですが、もともと紫式部自体が、
生没年も不詳だし、本名も不明という、謎すぎる女性なので・・
もしかしたら?もしかするのかも?((゚m゚;)
・・・・・いやいやいや。(;´▽`A“
(2011.5追記)
佐竹源氏さまより、有力な情報をいただきました。
以下コピペ。
この墓石は氾濫する河川から流れてしまうのを避けた
私の先祖が現在地へ移転させたものです。
「国分村の先」から転じて紫という字であったことと、
当家の官途名が式部少輔であったことに因みます。
紫式部とは関係ありません。
つまり、
le=”color: rgb(255, 0, 0);”>「紫」という場所に住んでいた「式部」という役職の方のお墓
ということだったのですね。
詳しい情報をありがとうございました!
○しもつけ風土記の丘資料館
http://www.shimotsuke-f.jp/
栃木県下野市国分寺993
大人は入場料100円でした。
○天平の丘公園
栃木県下野市国分寺