真岡市

第89回 二宮ファイナル(後) の巻

ひばらさんの栃木探訪-二宮ひばらさん


そういえば、先日の東京マラソンで、この格好↑で走っている方、おりましたね・・

読売新聞の記事参照のこと。
「出場するなら目立たなくっちゃ…都心を駆け抜けた面白衣装」


マラソン大会にも。ゆるキャラブームが来てるのかな・・(興奮)。



さて、引き続き、二宮探訪。(`・ω・´)ゞ


ひばらさんの栃木探訪-二宮町 二宮金次郎 二宮尊徳


「二宮尊徳資料館」に立ち寄ってみると、


ひばらさんの栃木探訪-二宮町 二宮金次郎 二宮尊徳


↑ここには「二宮金次郎像」ではなく、成人になった「二宮尊徳像」が。



資料館は、なんと「無料」。これは親切!

記帳簿に、名前を書いていると、係の女性の方が寄ってきてくれました。
(この時点では、来客は私だけだったので…(;^_^A))

「二宮町がなくなる前に、訪れてみました」という旨を伝えると、
感銘をうけてくれたらしく、熱心にいろんなお話を聞かせていただきました。


なんでも真岡市になると「真岡市二宮~」という住所ではなく、
完全に住所から“二宮”が消えてしまうとのことで、
やはり、町名がなくなると寂しいわーとおっしゃっておりました。



資料館に入ってまず目につくのは、大きな「二宮尊徳像」。

ひばら:「大きいですね~」

スタッフさん:「そうなのよ、尊徳さんは、182センチもあったんですよ。ほぼ等身大です。」

ひばら:「ええ!!( ̄□ ̄;)!!・・でかいですね」

金治郎の像は子供なので、そんな背の高いイメージはなかっただけに、
かなり驚いてしまいました。

そして、そこから、一気に二宮金次郎アワーです。
おいたちから、町に来てからの軌跡、残した教え、子孫の話など、
スタッフさんからの説明あり(30分以上は解説していただいたと思います・笑)、
DVDの映像ありで、かな~り、勉強になってしまいました。



♪テレレ テッテッテ~ン

「かしこさが2あがった。」




お話を聞いて、分かったことは「この人、相当すごい!」
ってことでした。ヽ((◎д◎ ))ゝ

「歩く金次郎像」とか、ほんとすいません、て感じになりました。
いや、もう歩いていてもいいんじゃないかな?

そのぐらい、改めてすごい人だったんだなと、お話を聞いて分かりました。


ダイジェストでお伝えできるかわかりませんが、
ざっくりとお伝えすると・・φ(.. )


二宮金次郎は、もともとは神奈川県の小田原市生まれの方。

そこそこ裕福な農家だったようですが、
田んぼが洪水で全部流されてから貧しくなってしまい、
両親も亡くなり、兄弟もバラバラになり、たいへん苦労したようです。

しかし、こつこつ勉強、仕事をして(それが金次郎像、なわけですね)
一家を立て直し、大地主にまでなりました。

さらには、借金まみれの小田原藩の老中の財政立て直しまで成功させ、
その腕が認められ、その当時、小田原の飛び地だった
下野国桜町(二宮町)の立て直しを命ぜられ、こっちに来たんですって。


それから26年間、二宮町で立て直しをしていたわけですが、
ここからのエピソード・・・ドラマにできんじゃね?

ってぐらい、ドラマティックでした。


ひばらさんの栃木探訪-二宮町 二宮金次郎 二宮尊徳


●赴任してからは、朝早く起きて、農民の暮らしを一軒一軒見て歩った
●よく働く農民に表彰した
●早起きばあさんに褒美をやった
●なまけ者だった家のトイレを間違って壊してしまったので、
トイレの他に家も直してあげたら、まじめに働くようになった
●ナスを食べて味がおかしいと思い、不作になると予測したら、本当に飢饉になったが
それに備え、違う農作物をつくっていたので、餓死が一人も出なかった


などなど…。いいはなシーサーが目白押し!


なかでも、特に感銘を受けたのは、

金次郎の行動をいいように思わない連中がいて、
仕法がなかなか進まないって時に、金次郎がいきなり失踪。
村人は、心配して金次郎を捜したら、なんと成田山で断食してた!
その後、村人全員が金次郎を出迎え、この後復興が順調に進む、という話。


これはホント、ドラマにして、
今のお役人に見てもらいたい・・(;^_^A

いろいろ勉強させていただきました。m(_ _ )m


あ、ちなみに子孫の話ですが、
現在も二宮家の直系の6代目さんが神戸のほうで、ご存命とのこと。
(ご丁寧に、お写真まで見せて頂けました・笑)


たくさんお話聞かせていただいて、とっても勉強になりました。
訪れたことない方、かなりオススメです。
この不況の今に、なぜか不思議と会う内容なんですもの・・グッド!


資料館の裏には、
二宮尊徳が住んでいた「桜町陣屋跡」があるので、
こちらも見に行ってみました。

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↑とても質素ですね。(´∀`) 国指定史跡です。


ひばらさんの栃木探訪-二宮町 二宮金次郎 二宮尊徳 かかし

↑中の納屋に、グラマラスな、かかしを発見!!(笑)なぜ??

ひばらさんの栃木探訪-二宮町 二宮金次郎 二宮尊徳

↑こちらも資料館のとなりにある「桜町二宮神社」
明治38年創建。・・無人です。

そういえば、今市(現:日光市)にも「報徳二宮神社」というのがありますが、
二宮尊徳は、二宮町の後、真岡や日光の復興を頼まれ、
そちらに赴任したようです。なので終焉の地は、今市市なのですね。


ただ、お墓はこちらにあります。蓮城院、こちらも資料館からすぐ。

ひばらさんの栃木探訪-二宮町 二宮金次郎 二宮尊徳

↑お寺にも、二宮金次郎像がありました。


ひばらさんの栃木探訪-二宮町 二宮金次郎 二宮尊徳

↑お墓です。のんのん。

ひばらさんの栃木探訪-二宮町 二宮金次郎 二宮尊徳


↑真ん中…と思いきや、金次郎は右側です。



ということで、二宮探訪は、いつのまにか尊徳探訪に・・f^_^;


そうそう、気になっていたお名前のこと。
「二宮金次郎と二宮尊徳って、なにがどう違うのか」ということ。

資料館の方に聞いてみると、

金次郎はもともと農民の出で、
だいたいは「金次郎さん」と呼ばれていたらしいです。

「尊徳」は、幕府に認められ役人になってから付けた名前らしく、
「たかのり」と読むらしいです。
なので、金次郎さんは、生前「そんとく」とは呼ばれてなかったようです。

呼ばれるようになったのは、
金次郎がすでに亡くなった後、彼の教えや生き方をリスペクトする人たちが
「そんとく先生」と呼ぶようになったみたいです。

そうだったんですね~。





ひばらさんの栃木探訪-ひばらさん像


いつか、ワタクシも彼のように、銅像になってみたいっす・・



○道の駅 にのみや【地図
栃木県芳賀郡二宮町大字久下田2204-1(現:真岡市)

○二宮尊徳資料館【地図
○桜町陣屋跡
○桜町二宮神社
栃木県芳賀郡二宮町物井2013-2(現:真岡市)
入場無料

○蓮城院【地図
栃木県芳賀郡二宮町物井102(現:真岡市)



【追記】

二宮尊徳さんのお墓は日光(今市)にもありました。
第159回 日光珈琲をたずねて の巻 (日光市・報徳二宮神社、日光珈琲)