そういえば、先日の東京マラソンで、この格好↑で走っている方、おりましたね・・
読売新聞の記事参照のこと。
「出場するなら目立たなくっちゃ…都心を駆け抜けた面白衣装」
マラソン大会にも。ゆるキャラブームが来てるのかな・・(興奮)。
さて、引き続き、二宮探訪。(`・ω・´)ゞ
「二宮尊徳資料館」に立ち寄ってみると、
↑ここには「二宮金次郎像」ではなく、成人になった「二宮尊徳像」が。
資料館は、なんと「無料」。これは親切!
記帳簿に、名前を書いていると、係の女性の方が寄ってきてくれました。
(この時点では、来客は私だけだったので…(;^_^A))
「二宮町がなくなる前に、訪れてみました」という旨を伝えると、
感銘をうけてくれたらしく、熱心にいろんなお話を聞かせていただきました。
なんでも真岡市になると「真岡市二宮~」という住所ではなく、
完全に住所から“二宮”が消えてしまうとのことで、
やはり、町名がなくなると寂しいわーとおっしゃっておりました。
資料館に入ってまず目につくのは、大きな「二宮尊徳像」。
ひばら:「大きいですね~」
スタッフさん:「そうなのよ、尊徳さんは、182センチもあったんですよ。ほぼ等身大です。」
ひばら:「ええ!!( ̄□ ̄;)!!・・でかいですね」
金治郎の像は子供なので、そんな背の高いイメージはなかっただけに、
かなり驚いてしまいました。
そして、そこから、一気に二宮金次郎アワーです。
おいたちから、町に来てからの軌跡、残した教え、子孫の話など、
スタッフさんからの説明あり(30分以上は解説していただいたと思います・笑)、
DVDの映像ありで、かな~り、勉強になってしまいました。
♪テレレ テッテッテ~ン
「かしこさが2あがった。」
お話を聞いて、分かったことは「この人、相当すごい!」
ってことでした。ヽ((◎д◎ ))ゝ
「歩く金次郎像」とか、ほんとすいません、て感じになりました。
いや、もう歩いていてもいいんじゃないかな?
そのぐらい、改めてすごい人だったんだなと、お話を聞いて分かりました。
ダイジェストでお伝えできるかわかりませんが、
ざっくりとお伝えすると・・φ(.. )
二宮金次郎は、もともとは神奈川県の小田原市生まれの方。
そこそこ裕福な農家だったようですが、
田んぼが洪水で全部流されてから貧しくなってしまい、
両親も亡くなり、兄弟もバラバラになり、たいへん苦労したようです。
しかし、こつこつ勉強、仕事をして(それが金次郎像、なわけですね)
一家を立て直し、大地主にまでなりました。
さらには、借金まみれの小田原藩の老中の財政立て直しまで成功させ、
その腕が認められ、その当時、小田原の飛び地だった
下野国桜町(二宮町)の立て直しを命ぜられ、こっちに来たんですって。
それから26年間、二宮町で立て直しをしていたわけですが、
ここからのエピソード・・・ドラマにできんじゃね?
ってぐらい、ドラマティックでした。
●赴任してからは、朝早く起きて、農民の暮らしを一軒一軒見て歩った
●よく働く農民に表彰した
●早起きばあさんに褒美をやった
●なまけ者だった家のトイレを間違って壊してしまったので、
トイレの他に家も直してあげたら、まじめに働くようになった
●ナスを食べて味がおかしいと思い、不作になると予測したら、本当に飢饉になったが
それに備え、違う農作物をつくっていたので、餓死が一人も出なかった
などなど…。いいはなシーサーが目白押し!
なかでも、特に感銘を受けたのは、
金次郎の行動をいいように思わない連中がいて、
仕法がなかなか進まないって時に、金次郎がいきなり失踪。
村人は、心配して金次郎を捜したら、なんと成田山で断食してた!
その後、村人全員が金次郎を出迎え、この後復興が順調に進む、という話。
これはホント、ドラマにして、
今のお役人に見てもらいたい・・(;^_^A
いろいろ勉強させていただきました。m(_ _ )m
あ、ちなみに子孫の話ですが、
現在も二宮家の直系の6代目さんが神戸のほうで、ご存命とのこと。
(ご丁寧に、お写真まで見せて頂けました・笑)
たくさんお話聞かせていただいて、とっても勉強になりました。
訪れたことない方、かなりオススメです。
この不況の今に、なぜか不思議と会う内容なんですもの・・
資料館の裏には、
二宮尊徳が住んでいた「桜町陣屋跡」があるので、
こちらも見に行ってみました。
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↑とても質素ですね。(´∀`) 国指定史跡です。
↑中の納屋に、グラマラスな、かかしを発見!!(笑)なぜ??
↑こちらも資料館のとなりにある「桜町二宮神社」
明治38年創建。・・無人です。
そういえば、今市(現:日光市)にも「報徳二宮神社」というのがありますが、
二宮尊徳は、二宮町の後、真岡や日光の復興を頼まれ、
そちらに赴任したようです。なので終焉の地は、今市市なのですね。
ただ、お墓はこちらにあります。蓮城院、こちらも資料館からすぐ。
↑お寺にも、二宮金次郎像がありました。
↑お墓です。のんのん。
↑真ん中…と思いきや、金次郎は右側です。
ということで、二宮探訪は、いつのまにか尊徳探訪に・・f^_^;
そうそう、気になっていたお名前のこと。
「二宮金次郎と二宮尊徳って、なにがどう違うのか」ということ。
資料館の方に聞いてみると、
金次郎はもともと農民の出で、
だいたいは「金次郎さん」と呼ばれていたらしいです。
「尊徳」は、幕府に認められ役人になってから付けた名前らしく、
「たかのり」と読むらしいです。
なので、金次郎さんは、生前「そんとく」とは呼ばれてなかったようです。
呼ばれるようになったのは、
金次郎がすでに亡くなった後、彼の教えや生き方をリスペクトする人たちが
「そんとく先生」と呼ぶようになったみたいです。
そうだったんですね~。
いつか、ワタクシも彼のように、銅像になってみたいっす・・
○道の駅 にのみや【地図】
栃木県芳賀郡二宮町大字久下田2204-1(現:真岡市)
○二宮尊徳資料館【地図】
○桜町陣屋跡
○桜町二宮神社
栃木県芳賀郡二宮町物井2013-2(現:真岡市)
入場無料
○蓮城院【地図】
栃木県芳賀郡二宮町物井102(現:真岡市)
【追記】
二宮尊徳さんのお墓は日光(今市)にもありました。
第159回 日光珈琲をたずねて の巻 (日光市・報徳二宮神社、日光珈琲)