【前回からのつづき】
白沢地蔵堂から、さらに坂をくだっていくと、丁字路になっており、
ほどよく整備された道に出ました。
ここが「白沢宿」
道のサイドには、歩道橋と、水路があります。
↑水車もまわっちゃったりなんかして~、なかなか風情がありますね。
↑案内看板。
江戸時代に整備された五街道の一つである
奥州街道(道中)の第一宿としておかれたのが白沢宿でした。
徳川家康の軍が、上杉攻めに行くときに、
鬼怒川を渡る際、案内役をかって出たのが、ここの土地の人だったようで、
その後、その功績が認められ、白沢宿ができ、栄えた~
とのこと。
へぇ~。(´∀`)
徳川軍は、ここら辺も通ったんですね。
↑白澤宿・・・・って読めね~し!!
消えてるし、ハッ?!
街道沿いにある、家々には、
その当時呼ばれていた「屋号」が掲げられていたりします。
↑「番所」・・その名の通り、現在も警察署ですね~
↑こちらは、「本陣」・・見たところ、普通の民家なので、立ち入れませんでしたが。
↑「ここは江戸より三十里」って書いてあります。
1里=約4kmだから、30里だと、約120kmですね、ふむ。
あ!
↑この日、ちょうどイベントをやっていました。「白澤宿の地蔵盆」
つづく。