スワンボートから、東へいくと、下り坂の途中にあるのが、
「白沢地蔵堂」
無人なり。
ガラス張りになっており、中に、「おみくじ50円」の箱が見える。
でも、入れない・・・。(ちょっと、やってみたかった)
お堂の向かって左に、案内看板とともに、いらっしゃいました。
↑お地蔵さま。
「白沢地蔵堂の伝説」
今から約900年前の出来事です。鎌倉時代(建久年)源頼朝
←この人
の命を受け、伊沢家景が奥州総奉行として、
鎌倉より東北に向かう途中 白沢稚児ヶ坂(高崎製紙工場西側)で
子供が病気になり亡くなりました。
その子をこの地に葬り、地蔵堂と石塔を建てました。
とのこと。
伊沢家景(いさわいえかげ)さんは、調べたら
その後、宮城のほうまで行った御家人さんのようです。
1192作ろう鎌倉幕府時代の方、
それぐらいしか、それがしのおつむには、浮かびませぬ・・無念。
しかし、“伝説”ということは、
絶対的な文献とかがないのかな?
Wikiってみたら、おもしろいグラフが・・
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昔話・・・事実かどうかわからない(おそらく事実ではない)
伝説・・・少しは事実かもしれない(少しは信じてほしい)
世間話・・・事実である(信じてほしい)
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・・・へえ・・・( ̄_ ̄ i)
ちなみに、このお地蔵様の隣にいらっしゃる・・・
この、おじさまが気になったわけで・・・
こちらは、寿老人さまでした。
いいよねぇ、七福神:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
これこそ、日本のカオス文化が生んだタマモノだと思います。
参照:第63回 からせん七福神巡り! の巻
つづく。