「もみじ通り」の記事を書いて、
予告からだいぶ経ってしまいましたが・・
今回はもみじ通りと交差する「蓬萊大黒通り」を
です。
まずはいちょう通りのほうからスタート。
江戸の城下町を象徴する
カギ型クランク(都市計画により、まっすぐになってしまう予定)
を過ぎると、
まずは「蓬萊大黒通り」の由来の一つ
旧町名「蓬萊町」の案内板がありました。
この「蓬萊町」の由来は、蓬萊観音を祀ったお堂があったからそうだ。
蓬萊観音??
そんなものここの通りにあったっけ?
(ということで、後で調べて解決しました。下の方で詳しく・・)
この案内板の向かいには、
なかなかに歴史のありそうな建物がありました。
が、しかし!!!
実はこの探訪した(1月上旬)後、この↑建物
なんと・・・取り壊しちゃったんです。(=◇=;)
いや~、やっぱ都市計画の拡張のせいなんでしょうかね・・
だからこの建物、もうなくなっちゃったんですよ~(´・ω・`)
なんとも残念。
しばらく行くと、丁字路に小さな神社がありました。
ここにあるのか?蓬萊観音。
表に名前は書いてなかったのですが、
本殿の前にあった案内板に名前が書いてありました。
「菅原神社」という神社でした。
宇都宮城の西の守護神らしい。そして雷神信仰うんぬんと書いてある・・。
菅原?ということは、菅原道真? ビンゴです。
だって「天満宮」って書いてあるしね~。
でも、雷神信仰とはなんぞや?
調べてみるとおもしろいことが分かりました。
菅原道真というと、受験シーズンの今、
どうしても「学問の神様」とか「合格祈願!」のイメージが強いですが、
なんでも菅原道真は太宰府に左遷され、無念の思いで没したそうな。
そして、道真が没した頃から、
なぜか京都に落雷などの天変地異がいっぱい起こって
「これは道真の祟りだ~!」と言われて、恐れられたらしい・・。
だから菅原道真を雷神として崇めるようになった(祀って御霊を鎮める)とか。
へ~、それは知らなかったな~。┐( ̄∇ ̄)┌
(※こちらのサイトがおもしろく、参考になりました)
菅原神社の境内には、なぜか二宮金次郎像もありました。
けっこうしぶ~い年代物。
でも、ここの神社には、
蓬萊観音らしきものは見当たりませんでした。
「蓬萊大黒通りブラブラ」後編は、また後の記事で書くとして、
先ほど気になっていた「蓬萊観音」についての調査結果をば。
宇都宮市教育委員会が発行している
「宇都宮の民話」という本(PDFで閲覧可能)に
この「蓬莱観音」にまつわる話が出てきました。
もともとは宇都宮5代城主・頼綱が出家して
京都に行って、修行から帰ってきた後、
この蓬萊町にお堂を建てて安置した観音様のようですが、
なんでも、蓬萊観音はいつしか「朝日観音」と呼ばれるようになり
現在は本町にある「光明寺」に安置されているとか・・
ということで、後日「光明寺」さんに行ってみました。
場所は、本町(泉町のうしろあたり)です。
あ、本堂の横に観音堂発見。
「朝日観音」と書いてある。
でも案内板は特にありませんでした。
しかも閉まっている・・(-。-;)
なんとか見えないものか?と隙間を覗いてみたら・・
思っていたよりも小さかったです。
この蓬莱観音(朝日観音)、
民話の本に載っていただけあって、
この観音様にまつわる民話が4つもありました。
その中でも、おもしろかった話を1つ。
むかしむかし
鏡が池のほとりに、貧しいけれどもとても仲の良い夫婦が住んでいました。
ずっと子どもがいなかった夫婦が毎日観音さまに拝んでいたら
男の子を授かりました。
しかし、お母さんが産後まもなく亡くなってしまいました。
おなかがへった赤ん坊は乳を求めて激しく泣くので、
お父さんはやむなく自分の乳をふくませたところ、
不思議にも乳が出て、
赤ん坊の腹を満たすことができました。
そして、無事に心のやさしい元気な子どもに育てることができました。
めでたし、めでたし・・・
なんと、父が乳を・・・(ノ´▽`)ノ
不思議なこともあるもんですね。
(中)へつづく