那須烏山市

第1183回 長者ヶ平の東山道跡を見てきました の巻

高根沢町のお隣り・那須烏山市の鴻野山に

「長者ヶ平」というところに古代の遺跡があるんですが、

今回そこで探検イベントがあるというので、参加してきました。

 

 



 

今回参加したのは、

「那須烏山市のジオサイトを知ろう」というイベント。

 

 

自宅から10分ぐらいの場所でした。

 


遺跡の近くには、車が置ける「多目的広場」が整備されていました。

 

前はなかったので、最近整備したのかな?

(グーグルマップにはまだありません・・)

 

ちゃんと案内板も立っていました。

 



 

「長者ヶ平官衙遺跡 附 東山道跡」

 

・・長い。

 

 



 

「ちょうじゃがだいら かんがいせき つけたり とうさんどうあと」

と読むみたいです。

 

「附」って「つけたり」って読むんだ。・・絶対読めない。

 

ひと昔前までは「長者ヶ平遺跡」と呼んでいたと思うんですけど、

平成21年に国指定文化財に指定されたのを機に、

こういう長〜い名前になったのかなと思います。

 

いろいろ資料もいただけました。

 

 

以前ブログでも少し書いたことがありましたが、

この周辺では、昔から“焼き米”が出土しており、

ここいらには「長者伝説」という民話が残っているのです。

 

 

さっそく資料の中に、その民話の詳細が入ってました。

 



概要はだいたいこんな感じの話です。(「しもつけの伝説」から)

昔、この地には、年貢米や畑作物がたくさん運ばれ、りっぱな御殿に住み、
大勢の人を使って、何不自由のない生活をしている長者が住んでいた。

ある時、奥州征伐のため源 頼義・義家父子の一行がこの地を通り、
東山道を北上した際、長者の家に泊まった。

長者は都から来た有名な武将だと歓迎し、できるだけのもてなしをした。

それから、9年。
源 義家が奥州征伐を終えた帰り、また長者の家に立ち寄ると
ふたたび武将は歓迎され、もてなされた。

しかし、その晩、長者の家や倉庫から一斉に火の手が上がり、
一晩のうちにその地は灰になってしまった。

土地の人々は、
強大な富と力を持つ長者が、後々強い勢力になることを恐れ、
義家が焼き討ちをした、「焼き米」はその時のものだと、語り継いだという・・・
 

 

 

・・武将、なんちゅうやっちゃっ!DASH!
 

 

まあ、これはあくまで「伝説」だそうで。

 

たしかに、「源 義家 長者伝説」で検索すると、

ここのほかにも茨城県などに同じような言い伝えや民話が出てくるのです。

 

「空海一夜の作」もあちこちにあるけど、

この人もそういう存在?

どんだけ悪名高いのだ、源 義家。

 

 



 

↑これが出土された焼き米(炭化米)。

(いただいたパンフレット「那須烏山ジオパーク構想」より。)

 

 

で、今回は、その焼き米の詳しい話が聞けるかな〜と思い、

参加してみた次第です。

 



 

↑八溝グリーンライン沿いに

「史跡 長者ヶ平 これより 500m」という

案内板が立っています。

 

 



 

↑看板が裏になっててよく見えませんが、

さきほどの、この辺り一帯が「長者ヶ平官衙遺跡」だそうな。

 

今回、ガイドをしていただいた教授の話によると

出土した焼き米は、奈良時代のもので、

「長者伝説」の年代よりもさらに100年以上は前のものだそう。

 

ということで、伝説はあくまでフィクション・・というあっけないオチでした。

 

 

・・まああの、若干ネタバレはしていましたが、

「官衙(かんが)」というのは、役所のことだそうで、

この遺跡は、奈良時代〜平安時代に営まれた古代の役所なのだそうです。

 

 



 

↑これもいただいた資料。「広報みなみなす2004.3」

 

パンフレットなどによると、

平成13年〜17年に大規模な発掘調査が行われたようで、

 

役人がいろいろな仕事や儀式をやっていたであろう正殿のほか、

米やアワを保管する高床式の倉庫群が建ち並んでいた跡などが見つかったそうです。

 

焼き米は、その倉庫群が奈良時代あたりに、

数多く火災に遭い、そこから出土したものと推測されています。

 

 

良かった。焼かれた長者はいなかったんだね。←?

 

 

 

↓今回歩いたところの地図です。

 



 

「長者ヶ平官衙遺跡」がどのような使われ方をした施設だったのかは、

まだ具体的には解明されてないそうなのですが、

 

この周辺に、古道の「タツ街道」と、古代の官道「東山道」跡が発見されており、

おそらく駅家※か、芳賀郡の郡役所、

またはその関連施設ではないかといわれています。

 

※駅家(うまや)…道の往来をする役人に馬や食事を提供したり、宿泊・休憩を取るための施設。

 

 

で、実際にタツ街道と東山道跡の一部も、

ガイドしていただきました。

 



 

こちらは「タツ街道」。

道、と言われれば道。この辺はすごい竹が生い茂っていました。

 

 



 

東山道は、八溝グリーンラインの一部にもなっちゃってますが、

ちょうど那須烏山市とさくら市の市境あたり突っ切っていたようです。

 

 



 

タツ街道と東山道の十字路付近。

 

フェンスの左が那須烏山市、右がさくら市です。

 

 

ここから、南下すると

高根沢町の天神坂のほうに伸びていくと、教授は言ってました。

 

へ〜。高根沢も通ってたんですね。

 

ちなみに高根沢のほうは、

開発しちゃってほとんど遺構が残ってないらしい・・チーンチーン

 

 



 

いったん引き返して今度は北上。

 

木が並んでいて、昔、道だったっぽい跡が伺えます。

右はけっこう切り立っています。

 

 

 



 

この辺はかなり道幅がありました。

 

 



 

この辺まで歩いて、Uターンしました。

 

東山道はず〜っとこの先、

さくら市〜那須方面まで伸びていくそうです。

 

 

 

そんな感じで、古道探検は2時間ほど。

 

以前は普通に素通りしていた場所でしたが、

壮大な古代ロマンに想いを馳せることができました。

 

親に付き合わされた子ども達には、

今いち、まだ古代ロマンが伝わらなかったみたいですが・・

 

 

道にいるたくさんのダンゴムシたちに想いを馳せていました。

 

 

帰り路、下の子が寝てしまい、

12キロの重しを持ったままの東山道踏破は、

日頃の運動不足も重なり、

それはそれは全身クッタクタになったのでした・・チーングハ

 

 

(おしまい)

 

 

 

○長者ヶ平官衙遺跡 附 東山道跡

栃木県那須烏山市鴻野山

 

○那須烏山市ジオパーク構想

http://nasukara-geo.jp/

 

 

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